佐藤春夫『田園の憂鬱』

 或る夜、庭の樹立がざわめいて、見ると、静かな雨が野面を、丘を、樹を仄白く煙らせて、それらの上にふりそそいで居た。しっとりと降りそそぐ初秋の雨は、草屋根の下では、その跫音も雫も聞えなかった。ただ家のなかの空気をしめやかに、ランプの光をこまやかなものにした。そうして、それ等のなかにつつまれて端坐した彼に、或る微かな心持、旅愁のような心持を抱かせた。そうして、その秋の雨自らも、遠くへ行く淋しい旅人のように、この村の上を通り過ぎて行くのであった。彼は夜の雨戸をくりながらその白い雨の後姿を見入った。