森鷗外『空車』

 わたくしは此車が空車として行くに逢う毎に、目迎えてこれを送ることを禁じ得ない。車は既に大きい。そしてそれが空虚であるが故に、人をして一層その大きさを覚えしむる。この大きい車が大道狭しと行く。これに繫いである馬は骨格が逞しく、栄養が好い。それが車に繫がれたのを忘れたように、緩やかに行く。馬の口を取っている男は背の直(すぐ)い大男である。それが肥えた馬、大きい車の霊ででもあるように、大股に行く。此男は左顧右眄することをなさない。物に遇って一歩を緩くすることをもなさず、一歩を急にすることをもなさない。傍若無人と云う語は此男のために作られたかと疑われる。
 此車に逢えば、徒歩の人も避(よ)ける。騎馬の人も避ける。貴人(きにん)の馬車も避ける。富豪の自動車も避ける。隊伍をなした士卒も避ける。送葬の行列も避ける。此車の軌道を横(よこぎ)るに会えば、電車の車掌と雖も、車を駐(とど)めて、忍んでその過ぐるを待たざることを得ない。
 そして此車は一の空車に過ぎぬのである。