トーマス・マン「幻滅」(実吉捷郎 訳)

 「――私だって、こういう私だって、やっぱり一時は、自分に対しても他人に対しても、幸福な振りをしようと思って、そういう人間どもと一緒になって、噓をつこうと試みたものだった。しかしそんな虚栄心は、もうずっと前に打砕けてしまった。そして私は孤独な不幸な、それからちっと風変りな人間になってしまったのです。それは自分でも認めていますよ。
 「今私の一番好きな仕事といえば、夜星空を眺めることです。なぜといって、この地上から、また人生から眼をそらすのに、これほど好い方法があるでしょうか。で、そうやって星を眺めながら、一意専念、ただ自分の予感を、せめて大事に守っているというだけなら、それはおそらく許されるでしょう。現実が幻滅というにがい滓を伴わずに、私の偉大な予感に溶け込んでしまうような、そういう解放された生活のことを夢想するだけならね。水平線なんぞなくなってしまった生活のことをですね。
 「そんなことを夢みながら、私は死を待っています。ああ。私はもうあいつのことを実によく知っているのですよ。死のことを。この最後の幻滅のことを。私は臨終の時、胸の中でこういうでしょう。――これが死だ。今おれは死を体験しつつある。しかし、結局これがどうしたというのだ。