アンドレ・ブルトン「溶ける魚」(巖谷國士 訳)

 そこからほど遠からぬセーヌ河は、いわくいいがたいやりかたで女の上半身像(トルソ)を押しながしていた。それは頭も手足ももげた彫像で、しばらくまえからその出現を知らせていた数人の不良少年たちは、このトルソこそは完全無欠の肉体だ、いや新しい肉体だ、きっといまだかつて見られたことも愛撫されたこともないような肉体だ、と主張していた。警察は神経をとがらせていきりたっていたが、その新しいイヴを追跡しにいった船はとうとう帰ってこなかったので、いっそう高くつく第二回目の踏査はあきらめてしまい、かくしてあの白い、動悸をうつ美しい乳房は、いまも私たちの欲望にとりついている女たちのような生きた人間のものだったためしなどいちどもないということが、うらづけもなしに認められるにいたった。彼女は炎さながらに私たちの欲望のかなたにあり、いわば、女にふさわしい炎の季節の第一日目、まさにふたつとない、雪と真珠の三月二十一日であったのだ。