フォークナー『アブサロム、アブサロム!』(高橋正雄 訳)

クェンティンはそうした遺産とともに成長したのであり、名前はいろいろ取り替えられたし、ほとんど無数にあった。彼の幼少時代はそれらの名前で満たされており、彼の体は敗者たちのよく響く名前のこだまするうつろな大広間であり、彼は一個の存在では、一個の実体ではなく、一つの共和国みたいだった。彼は頑としてうしろを見つづけている亡霊たちのつまった兵舎であり、その亡霊たちは戦後四十三年たった今でもなお、あの病気をなおしてくれた熱から回復しきれず、自分たちが戦ったのは熱そのものであって病気ではなかったということに気づきさえしないで、熱からいまだに醒めきれず、熱のために体は弱っていても病気からは脱出しているのに、その脱出が不能からの脱出であることに気づきさえしないで、心の底から後悔しながら、頑固に執拗に、うしろを振り返って熱の彼方の病気を見つめているのだった。