ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(原卓也 訳)

だが、事実フョードルは一生を通じて、演技するのが、それも突然なにか意外な役割を、しかも肝心なことは、たとえば今の場合のようにみすみす自分の損になるとわかっているときでさえ、何の必要もないのに演技してみせるのが好きな男であった。もっとも、こうした性質は、べつにフョードルに限らず、きわめて多くの人につきもので、非常に聡明な人にさえまま見られるものである。