桂川甫周『北槎聞略』

かねて教へられしごとく左の足を折敷(おりしき)、右の膝をたて、手をかさねてさし出せば、女帝右の御手を伸(のべ)、指さきを光太夫が掌(たなごころ)の上にそとのせらるゝを三度舐(ねぶ)るごとくす。これ外国の人初(はじめ)て国王に拝謁の礼なりとぞ。さてもとの座に退き立居たるに、国王左右に命じて光太夫が願状(ねがいがき)をとり出させ御覧ありて、此(この)疏草(したがき)は誰が書(かき)たるや定(さだめ)てキリロならんと有ければ、キリロ謹(つつしん)で渠(かれ)が申(もうす)まゝに草したる由を答へ申す。又此書面に相違なきやとありければ、キリロ仔細も候まじと答へける。時に国王ベンヤシコと宣(のたま)ふ声高く聞へける。是は可憐(あわれむべし)といふ語(ことば)なり。