懐奘 編『正法眼蔵随聞記』

近代の禅僧、頌(じゅ)を作(つ)くり法語を書かんがために文筆等をこのむ、是れ便(すなわ)ち非なり。頌をつくらずとも心に思はんことを書出し、文筆とゝのはずとも法門をかくべきなり。是をわるしとて見ざらんほどの無道心の人は、よく文筆を調へていみじき秀句ありとも、只言語(ごんご)ばかりを翫(もて)あそんで理を得べからず。