岡倉天心『茶の本』

茶人たちは、花を選択することでかれらのなすべきことは終わったと考えて、その他のことは花みずからの身の上話にまかせた。晩冬のころ茶室に入れば、野桜の小枝につぼみの椿の取りあわせてあるのを見る。それは去らんとする冬のなごりときたらんとする春の予告を配合したものである。またいらいらするような暑い夏の日に、昼のお茶に行って見れば、床の間の薄暗い涼しい所にかかっている花瓶には、一輪の百合を見るであろう。露のしたたる姿は、人生の愚かさを笑っているように思われる。