永井荷風『断腸亭日乗』「一九四五年三月九日」

余は五、六歩横町に進入りしが洋人の家の樫の木と余が庭の椎の大木炎々として燃上り黒烟(こくえん)風に渦巻き吹つけ来るに辟易し、近づきて家屋の焼け倒るるを見定(みさだむ)ること能わず。唯火焔の更に一段烈しく空に上るを見たるのみ。これ偏奇館楼上少からぬ蔵書の一時に燃るがためと知られたり。