寺山修司『幻想図書館』

「どんな形態の人間だって、存在し得る」のであり、標準的な人間というのは、幻想にすぎないのだ。
「勝手に標準人間のイメージをデッチあげておいて、そのカテゴリーに入らないからといって、〈不具〉よばわりすることこそ差別ではないか」
と花園神社の見世物芸人、藤平さんは言っていた。たしかに、畸型は「畸型として生まれてくる」のではなく、社会的な遇され方によって「畸型となる」のである。