保田與重郎「文明開化の論理の終焉について」

 大正期の文化文物のすべての成立する因由であり、また文芸の発想であるものが、すべて「臆病」である。外に出る文章でなく、内攻する文章である。決意の表現でなく、条件のいい方である。彼らは理論の統一整合を専ら関心し、現実のもつ矛盾と混沌の表現に極めて臆病である。その文化のイデーに於ては、詩人と英雄の存在は認められなかったのである。いわゆる人間的価値という尺度、そのイデオロギーは、官僚的な仮縫の方法であった。その「臆病」には懐疑と矛盾の直率の表理はないのである。「臆病」はそれらの表現とは異った官僚的統制の表現をとるのであった。