高見順「描写のうしろに寝てゐられない」

作家は黒白をつけるのが与えられた任務であるが、その任務の遂行は、客観性のうしろに作家が安心して隠れられる描写だけをもってしては既に果し得ないのではないか。白いということを説き物語るためだけにも、作家も登場せねばならぬのではないか。作家は作品のうしろに、枕を高くして寝ているという訳にもういかなくなった。作品中を右往左往して、奔命につとめねばならなくなった。十九世紀的小説形式そのものへの懐疑がすでに擡頭してきているのも、こうした事情からであろう。十九世紀的な客観小説の伝統なり約束なりに不満が生じた以上は、小説というものの核心である描写も平和を失ったのである。つまり文学以前の分裂が、文学をちぢにひきさいているのだ。

   ※太字は出典では傍点