山田風太郎『戦中派虫けら日記』

 もし自分の前に出て、おのれにやさしき両親のあることを誇る人間があるなら、自分はこれを笑う。
 どんなにやさしい両親も、それは彼の両親であって、自分の両親ではない。それなら、街頭に喧騒している無数の人間どもは、たいてい人の子の親である。人の子の親ほど他人の子に対して残酷なものはないのである。自分は、自分の父母を恋しがるのであって、その他の親など毫も羨ましいとは思わない。
 だいいち、両親のない孤独の涙に、一抹の壮美な愉しさがあることを人々は知っているだろうか? 人間は悲劇を見るために、高い金を払って劇場に入るのだ。
 十億の人に十億の母あれどわが母にまさる母あらめやも。