ヘーゲル『精神現象学』(長谷川宏 訳)

自己には自分を外化する力が――自分を物にし、その存在に耐えていく力が――欠けているのだ。自己は自分の内面の栄光が行為と生活によって汚されまいかと不安をいだいて生きている。心の純粋さを保持するために、自己は現実との接触を避け、抽象の極に追いこまれた自己を断念して、外界の秩序をとりいれたり、思考を存在へと転化して、絶対の区別を受けいれたり、といったことはとてもできないとかたくなに思いこんでいる。だから、自己のうみだすうつろな対象は、空虚な意識でもって自己を満たすばかりである。自己の行為は、自分の心のままに頼りない対象におのれをゆだねるだけのあこがれであって、そこから身を引き離して自分に還ってきても、見いだされるのは失われた自分でしかないのだ。