三島由紀夫『春の雪 豊饒の海(一)』

「僕らは生きていて、死を豊富に所有している。葬いに、墓地に、そこのすがれた花束に、死者の記憶に、目のあたりにする近親者たちの死に、それから自分の死の予測に。
 それならば死者たちも、生を豊富に多様に所有しているのかもしれない。死者の国から眺めた僕らの町に、学校に、工場の煙突に、次々と死に次々と生れる人間に。
 生れ変りとは、ただ、僕らが生の側から死を見るのと反対に、死の側から生を眺めた表現にすぎないのではないだろうか。それはただ、眺め変えてみただけのことではないだろうか」