柄谷行人「病の記号論」

 身体的な病気と精神病の区別も、もちろん「分類」である。そもそも病気と健康の二項対立そのものがそのような「分類」であることはさておいて、病気は、それが分類され区別されるかぎりで、〝客観的〟に存在する。たとえば、医者がそう命名するかぎりでわれわれは病気なのであり、〝病識〟がなくても病気であることもあれば、当人が苦しんでいても病気ではないとされることもある。また、〝分裂病者〟と二人だけでいれば、どちらが病的なのか確信できない。病気は、未開段階から歴史的に、ある分類(記号論的体系)によって〝存在〟してきたのであり、個々人の病識から独立し、また医者―患者の関係からも独立するような〝客観的〟な病気は、実は近代科学によって作り出された表象である。