柄谷行人「鏡と写真装置」

厳密にいえば、鏡は上下も左右も変らないが、「前後」が逆なのである。この点に注意しなければならない。つまり、鏡に閉じこめられている近代の、というよりもそもそも「反省」にはじまる哲学知は、根本的に「前後」をとりちがえている。ニーチェが「結果を原因ととりちがえる」「遠近法的倒錯」とよんだものは、いわば〝鏡〟にもとづくのである。鏡の与える最大の錯覚は、本当は前後が反転しているのに、左右が逆であるだけだとおもいこませることにある。