三浦雅士『私という現象』

 世のなかがすべて物語であるのは、むしろ、人間が自分自身にだまっていることのできない存在だからなのだ。自分が何者であるかをつねに自分自身に語りきかせながら生きてゆくほかない存在だからである。このことこそ、世のなかがすべて物語であることの根本的な理由にほかならない。