ロラン・バルト『物語の構造分析』(花輪光 訳)

作者というのは、おそらくわれわれの社会によって生みだされた近代の登場人物である。われわれの社会が中世から抜け出し、イギリスの経験主義、フランスの合理主義、宗教改革の個人的信仰を知り、個人の威信、あるいはもっと高尚に言えば、《人格》の威信を発見するにつれて生みだされたのだ。それゆえ文学の領域において、資本主義イデオロギーの要約でもあり帰結でもある実証主義が、作者の《人格》に最大の重要性を認めたのは当然である。作者は今でも文学史概論、作家の伝記、雑誌のインタヴューを支配し、おのれの人格と作品を日記によって結びつけようと苦心する文学者の意識そのものを支配している。現代の文化に見られる文学のイメージは、作者と、その人格、経歴、趣味、情熱のまわりに圧倒的に集中している。批評は今でも、たいていの場合、ボードレールの作品とは人間ボードレールの挫折のことであり、ヴァン・ゴッホの作品とは彼の狂気のことであり、チャイコフスキーの作品とは彼の悪癖のことである、と言うことによって成り立っている。つまり、作品の説明が、常に、作品を生みだした者の側に求められるのだ。あたかも虚構の、多かれ少なかれ見え透いた寓意を通して、要するに常に同じ唯一の人間、作者の声が、《打明け話》をしているとでもいうかのように。

   ※太字は出典では傍点