ロラン・バルト『物語の構造分析』(花輪光 訳)

しかし大勢としては、われわれの社会もまた、できるかぎり注意深く物語状況のコード化を押し隠そうとする。きっかけとなる自然な機会を物語に与え、いわば物語の《発端をなくす》ふりをすることによって、これから始まる物語を自然化しようとする物語行為の技法は、いまや数えきれない。たとえば、書簡体小説であり、たまたま発見されたと称する原稿であり、語り手に出会ったという作者であり、タイトルの前に物語内容(イストワール)を始める映画である。コードの誇示に対する嫌悪は、ブルジョワ社会とその産物である大衆文化とを特徴づけるものである。どちらにとっても、記号らしくない記号が必要なのだ。