2011-06-24から1日間の記事一覧

ロラン・バルト『物語の構造分析』(花輪光 訳)

「テクスト」は複数的である。ということは、単に「テクスト」がいくつもの意味をもつということではなく、意味の複数性そのものを実現するということである。それは還元不可能な複数性である(ただ単に容認可能(アクセプターブル)な複数性ではない)。「…

ロラン・バルト『物語の構造分析』(花輪光 訳)

読者の誕生は、「作者」の死によってあがなわれなければならないのだ。

ロラン・バルト『物語の構造分析』(花輪光 訳)

一編のテクストは、いくつもの文化からやって来る多元的なエクリチュールによって構成され、これらのエクリチュールは、互いに対話をおこない、他をパロディー化し、異議をとなえあう。しかし、この多元性が収斂する場がある。その場とは、これまで述べてき…

ロラン・バルト『物語の構造分析』(花輪光 訳)

ひとたび「作者」が遠ざけられると、テクストを《解読する》という意図は、まったく無用になる。あるテクストにある「作者」をあてがうことは、そのテクストに歯止めをかけることであり、ある記号内容を与えることであり、エクリチュールを閉ざすことである。

ロラン・バルト『物語の構造分析』(花輪光 訳)

われわれは今や知っているが、テクストとは、一列に並んだ語から成り立ち、唯一のいわば神学的な意味(つまり、「作者=神」の《メッセージ》ということになろう)を出現させるものではない。テクストとは多次元の空間であって、そこではさまざまなエクリチ…

ロラン・バルト『物語の構造分析』(花輪光 訳)

作者というのは、おそらくわれわれの社会によって生みだされた近代の登場人物である。われわれの社会が中世から抜け出し、イギリスの経験主義、フランスの合理主義、宗教改革の個人的信仰を知り、個人の威信、あるいはもっと高尚に言えば、《人格》の威信を…

ロラン・バルト『物語の構造分析』(花輪光 訳)

しかし大勢としては、われわれの社会もまた、できるかぎり注意深く物語状況のコード化を押し隠そうとする。きっかけとなる自然な機会を物語に与え、いわば物語の《発端をなくす》ふりをすることによって、これから始まる物語を自然化しようとする物語行為の…