ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド』(中野好夫 訳)

誰でも、今私のしているように、その一生を一ページ一ページ回想して、もしあとで、みすみす粗末にしてしまった数々の才能、むざむざ浪費して失った機会、さては、たえず胸の内で戦い合う気紛れ、邪(よこし)まな思いについに負けた、等々という鋭い悔いを残したくないと思えば、やはりそれは、終始立派な人間として生きるよりほかには、まずなかろう。私自身について言えば、生れついての才能という才能は、一つ残さず濫用に近いほど酷使した。つまり、私の言う意味は、簡単に言ってこうだ。一生、手をつけたことは、すべて全心を傾けて、よくしようと努力した。一度献身したことは、ほんとにすべてを捧げて献身したし、一度目標としたことは、これまた事の大小にかかわらず、徹底的に本気でやった。生れつきの才能にしろ、後天的の能力にしろ、たえず一貫した精励努力もせずに、ただ目的の達成だけを望むなどということは、到底あり得ないというのが、私の信念である。そんな虫のよい成功が、この世にあるはずがない。結局は、ある種のすぐれた天賦と、ある程度の幸運とが、いわば成功への梯子の両側になるのだろうが、それにしても、やはり段々は、あくまで頑丈な、消耗に堪える材料でできていなければならぬ。言いかえれば、徹底、熱心、真剣という精神に代るものはないのである。やれば全力を打込めることに、軽く片手しか出さないというようなこと、また、何にあれ、自分の仕事を卑下すること――この二つだけは絶対にしないというのが、いわば私の黄金律なのだ。