大江健三郎『私という小説家の作り方』

しかし、私がルイス・キャロルを愛好することにはならなかった。その理由は、『不思議の国のアリス』という作品に、都会の中流・上流階級のもの、という印象をかぎつけたからであったと思う。この作品に深く影響づけられていることのあきらかな安部公房は医学者の父を持ち、母は小説を刊行したこともある、そのような家庭の出身である。宮澤賢治を愛読する人についても同じで――いまの私は近代・現代日本文学の最上のものに賢治の作品をあげることをためらわないが――、私とほぼ同年輩で、幼少年時に賢治に深くなじんだ、という人に出会うたびに、私はかれら彼女らが、都会の中産階級の教育のある家庭に育った人たちであるはずだと思う。