山田太一『逃げていく街』

しかし、無論、地道な生活者を嘲笑う視点は、なければならないはずである。彼らが無謬な訳がない。しかし、日本の社会から、なんとそういう視点が失われてしまったことだろう。それはつまり、まだまだ生き続けると思っている人ばかりのせいではないか? 寺山さんが「嘲笑」を維持し、生活者としての視点から比較的自由だったのは、死が間近であるという意識のせいではないか? 成熟をこばみ、完成度などというものを鼻で笑えたのは、あといくらも生きていないという気持があったからこそではないか? 静かに成熟、完成を待つ時間がない、しかし自分を展開したい、それが寺山さんの過激を維持させたのではないか、と思う。