松浦理英子『優しい去勢のために』

 最初の? いや、柔らかで無力で小さな存在が発しているとは思えぬほど激しいあの搔(か)き毟(むし)るような泣き声は、その後人が何十年生きてもどれだけの技を尽くしても越えられない最初にして最後の完璧な〈表現〉なのではないだろうか? 何をいかにして表現するか、などと問う〈問〉を赤ん坊は持たない。赤ん坊の表現はその存在と等身大だから。剥き出しの存在が剥き出しの存在を剥き出しに表現する。この奇跡的な三一致。知識だの感情だの自我だのといった衣服をまとった身にはもはや望むべくもない。産声のように聴く者の心臓を強烈にノックする声は二度と出せない。