蓮實重彦『映画 誘惑のエクリチュール』

つまり複数性とは、模倣可能な対象ではなく、こちらが黙っていてもむこうから間近に迫り、じかに素肌にまといついて、理不尽な反復をしいる環境なのである。誰もが見たことも聞いたこともないものを思わず知らず擬態によって実践してしまうとき、複数性の環境変化が不意に完成されるのだ。だから、単数の累積が複数性なのではない。それじたいは一つのものでありながら不断に変容しつつ存在を包みこむ触覚的な環境とでもするか、とにかく、分割不能でありながらたやすく拡散し、微細な粒子となって皮膚をなぶり、もっとも感じやすいその表皮から滲透するようなもの、それが複数性というものだ。事物と事物、存在と存在とをわけへだてていた距離が不意に廃棄され、その消滅に驚くことがそのまま快楽の発見ともなるような体験こそが複数性の実現なのである。