三木成夫『胎児の世界』

 マ行の音「マ・ミ・ム・メ・モ」は、一般に「唇音 labial」とよばれる。唇なしには出てこないからだ。したがってこれは、哺乳動物の象徴音ということにもなる。ネコの「ミャー」、ヒツジの「メエー」、ウシの「モォー」とともに、人間の赤ん坊の原始の音声が「マ」であることは万国共通であろう。唇をもたぬ爬虫類では、だから、この唇音にかわるものとして、「口蓋音 gutteral」のカ行「カ・キ・ク・ケ・コ」が出てくる。もし中生代の恐竜の発したであろう音声を再現するとなれば、このカ行の音を考えなければならないであろう。今日の鳥たちの啼(な)き声を聞くがいい。かれらは「栄光ある爬虫類」とよばれているのであるから。もちろん哺乳類にも、この口蓋音は、たとえば断末魔の絶叫においてその本性を現わすだろう。しかし、この乳を扱う動物たちの日常を彩る象徴的な音声といえば、やはりこの吸乳から出る唇音を措いてほかにはないと思う。このことは、人間のことばの発生を考えるうえにおいても忘れてはなるまい。