説経節「信徳丸」

「熊野参りのその中に、四方(よも)の景色を、筆に写さんとせしけれども、心の絵にも写しかね、筆捨てにより、筆捨松(ふですてまつ)とは申せども、さてみずからは、夫(つま)に会わねばおもしろもなや。あらわが夫が恋しやな。かほど尋ねめぐれども、行きがたさらに聞こえねば、さては女房たちのお笑いあったるを、無念に思しめし、いかなる淵(ふち)川にも、身投げあったは治定(ぢじょう)なり。みずからも女房たちとひとつになって、笑うたかと思しめし、恨みあろうよ。みずから夢にも知らぬなり。熊野へは尋ねまい。近木(こぎ)の庄に戻り、死骸になりとも尋ね合い、弔わばや」