説経節「小栗判官」

こんか坂にも、着きしかば、これから湯の峯へは、車道の、嶮(けわ)しきにより、これにて、餓鬼阿弥を、お捨てある。大峯入りの、山伏たちは、百人ばかりざんざめいて、お通りある。この餓鬼阿弥を御覧じて、「いざ、この者を、熊野本宮湯の峯に入れて、とらせん」と、車を捨てて、籠(かご)を組み、この餓鬼阿弥を入れ申し、若先達(わかせんだつ)の背中に、むんずと、負いたまい、上野(うわがの)原を、うっ立ちて、日にち積もりて、見てあれば、四百四十四か日と申すには、熊野本宮湯の峯に、お入りある。なにか合図の湯のことなれば、一七(いちしち)日、お入りあれば、両眼が明き、二七(にしち)日、お入りあれば、耳が聞こえ、三七(さんしち)日、お入りあれば、はやものをお申しあるが、以上、七七(なななな)日と申すには、六尺二分(ぶん)、豊かなる、もとの小栗殿とおなりある。