「ふなうた」三浦哲郎

 突然、ピアノの音が止んだ。曲が終わったのではなく、安楽椅子の方からきこえてくる呻き声に弾き手が怯えたからである。
 みんなは無言で不安そうに市兵衛を見つめた。
 けれども、市兵衛は苦しくて呻いているのではなかった。呻くように泣いているのでもなかった。彼は、歌っているのであった。土手道を遠ざかっていく若いロシア兵士の声を追いながら、我知らず、懐かしい〈ふなうた〉を口ずさんでいるのであった。