道元『正法眼蔵』

仏となるに、いとやすき道あり。もろもろの悪をつくらず、生死(しょうじ)に著(じゃく)する心なく、一切衆生のためにあわれみふかくして、上(かみ)をうやまい下(しも)をあわれみ、よろずをいとう心なく、ねがう心なくて、心におもうことなく、うれうることなき、これを仏となづく。またほかにたずぬることなかれ。
〈解釈〉仏となるには、ごくたやすくなれる道がある。それは、種々の悪事を作らず、生や死に執着心をもたず、ただすべてのものに対して深い思いやりをもち、上下(うえした)の別なく共なるいのちを敬い大事にし、何ごとに対しても厭い嫌い、願い慕う心を放ち、あれこれと思い惑い、憂い乱れることのないよう努めること、このようなひとをこそ真実に覚めて歩むひと――仏と名づけるのである。このようなほとけのほかに別に仏をたずね求むべきではない。