夏目漱石「英国詩人の天地山川に対する観念」

 文学上に出来する事件を極広く見積れば、人間界の事か、非人間界の事に外ならず。(是は仔細らしく文学に就て申す迄もなく、凡て吾人思想の及ぶものは、、皆此二者の内を出でざるは勿論ながら)偖(さて)非人間界にあつて、尤も吾々の注意を惹くものは、日月なり星辰なり山河草木なり。去らば文学上に尤も重要なる材料を給するものは、人間と山川界なり。そこでかの自然と云ふ文字は、前に述べたる如く、一切万物に適用すべき語(こと)ばながら、特に文学に於ては、其意義を縮めて人間の自然と山川の自然と限劃するも差し支へなからん。
 斯(か)く自然といふ字の範囲が粗(あらまし)定まる以上は、是より脱化し来る、自然主義なる語も其限界を定むる事容易にして、矢張り人間の天性に従ふものと、山川の自然に帰する者との二つと区別するを得べし。虚礼虚飾を棄て天賦の本性に従ふ、是自然主義なり。功利功名の念を抛(なげう)つて丘壑(きゅうがく)の間に一生を送る、是亦自然主義なり。固より此両者の間には密接の関係ありて、互に相待つて存在するの傾向なきにあらざれど、兎に角自然主義に両様の意義あるは、当時の作家を読むものゝ疑を容れざるところなるべし。