津村信夫「孤児」(全)

声が非常に美しい娘であつたから、死床の父
がささやいた。


――御本(ごほん)を読んでおくれ、お前の声のきこえ
るうちは私も生きてゐたい。


娘が看護(みとり)の椅子に腰かけて頁をきり初める
と、父は、いつのまにか寝入つてゐた。


孤(ひと)りになつてからも、あるひは、父の生きて
ゐた間も、娘は自分の声の美しいことが一番
悲しい事実であつた。