森鷗外「靜(しづか)」

安達。侍の意氣地(いきぢ)では、切死(きりじに)をするも好(い)い。腹を切つて死ぬるも好い。併(しか)し命を惜みさへしなければ、死ななくても好いのです。それも再び世に出たい、身を立てたいと思ふのを目當(めあて)にしてながらへてゐるのが好いと云ふのではありません。目當なんぞはなくても好い。一度火に當てれば、壞れてしまふ器もある。百年割れない器もある。喜怒哀樂の火の中を、大股に歩いて行く人もあつて好い筈です。男には限りません。女だつてさうぢやありませんか。貴(たつと)い玉は多くは出ない。優れた人物も同じ事です。あなたなんぞが尼になつたり、自害をしたりしないのは、實(じつ)に頼もしいと云ふものです。