夏目漱石「京に着ける夕」

 子規と来て、ぜんざいと京都を同じものと思つたのはもう十五六年の昔になる。夏の夜の月丸きに乗じて、清水の堂を徘徊して、明かならぬ夜の色をゆかしきものゝ様に、遠く眼を微茫(びぼう)の底に放つて、幾点の紅燈に夢の如く柔かなる空想を縦(ほしい)まゝに酔はしめたるは、制服の釦を真鍮と知りつゝも、黄金と強ひたる時代である。真鍮は真鍮と悟つたとき、われ等は制服を捨てゝ赤裸の儘世の中へ飛び出した。子規は血を嘔いて新聞屋となる、余は尻を端折つて西国へ出奔する。御互の世は御互に物騒になつた。物騒の極子規はとう/\骨になつた。其骨も今は腐れつゝある。子規の骨が腐れつゝある今日に至つて、よもや、漱石が教師をやめて新聞屋にならうとは思はなかつたらう。漱石が教師をやめて、寒い京都へ遊びに来たと聞いたら、円山(まるやま)へ登つた時を思ひ出しはせぬかと云ふだらう。新聞屋になつて、糺(ただす)の森の奥に、哲学者と、禅居士と、若い坊主頭と、古い坊主頭と、一所に、ひつそり閑と暮して居ると聞いたら、それはと驚ろくだらう。矢つ張り気取つてゐるんだと冷笑するかも知れぬ。子規は冷笑が好きな男であつた。