ハンナ・アーレント『全体主義の起源』(大久保和郎 訳)

 権力を持たない、もしくはあきらかにはじめから権力を失いつつある集団への迫害はあまり見ていて楽しいものではあるまいが、しかしまたそれは単に人間の下劣さのしるしではない。人間は真の権力に服従し、あるいはそれに堪えるが、しかし権力なき富を憎む。権力というものは一つの機能を持つ以上まったく効用がないはずは決してないと人間にむかって語りかける政治的本能がそうさせるのである。搾取や抑圧すらも社会をして機能せしめ、そして或る種の秩序を生み出す。権力なき富と政治意志なき尊大さのみが、寄生的なもの、余計なもの、挑発的なものと感じられるのだ。それらは怨恨(ルサンチマン)をかきたてる。なぜならそれらは本来の人間関係がもはや存在しなくなるような条件を生み出すからである。搾取をおこなわない富は、搾取者を被搾取者に結びつける人間間(かん)の結合をいまだ全然知らないし、権力意志を持たぬ尊大さというものは、抑圧者が被抑圧者に対して必然的に示さねばならぬはずの関心をいまだまったく持っていないことを最もあきらかに証明しているのである。