山口昌男『道化の民俗学』

 笑い、特に嘲笑が、何故豊饒儀礼と結びつくか。それは、笑いが、「静止」に対する「動く」状態に本質的に結びつくからではないか。笑いにおける動は、そのまま「移行」の観念につながる。儀礼が常に宇宙的な性格を持つこと、そして季節の変り目に集中することを考え併せるなら、笑いのコスモロジカルな意義もまた明らかである。即ちそれは「死すべきもの」を彼方に追いやり、「生成するもの」の出現を促進する。嘲笑そのものも、基本的に対象を変貌させるという機能を持つはずである。ここでは嘲笑の対象も積極的意味をもつ。それはこの世界を脅やかすものの形象化である。生に対してネガティヴなものに形を与えることは、とりもなおさず、それを生にとり込む行為に外ならない。それ故祭式的な空間にあって、「生」と「死」、「泣く」と「笑う」という日常生活において、相反するものが、「生成」の二つの側面として統一的に捉えられるのである。