陸游「春雨(しゅんう)」(抄) (前野直彬)

狼藉たる殘花 地に滿ちて紅なり
衾を擁して 孤夢 雨聲の中
人生 十事 九は歎ずるに堪へたり
春色 三分 二は已に空し
但老盆の濁酒を傾くる有り
辭せず 衰鬢の青銅に對するを
長貧 博ち得たり 身の強健なるを
久しいかな 化工を咎むるに心無きこと


らうぜきたるざんくゎ ちにみちてくれなゐなり
きんをえうして こむ うせいのうち
じんせい じふじ きうはたんずるにたへたり
しゅんしょく さんぶん にはすでにむなし
ただらうぼんのだくしゅをかたむくるあり
じせず すいびんのせいどうにたいするを
ちゃうひん かちえたり みのきゃうけんなるを
ひさしいかな くゎこうをとがむるにこころなきこと


狼藉殘花滿地紅
擁衾孤夢雨聲中
人生十事九堪歎
春色三分二已空
但有老盆傾濁酒
不辭衰鬢對青銅
長貧博得身強健
久矣無心咎化工


乱れ散る落花は、地上を一面に、紅(くれない)の色に染める。私は降りしきる雨音の中で、ふとんを引きかぶりながら、ひとり寝の夢路をたどっている。人生というものは、十(とお)のうち九つまでは嘆かわしいことばかりだ。春景色は三分の二まで、もはやむなしい過去のものとなってしまった。それでも、濁り酒をかたむけるべく、昔からなじみの酒壺だけは手もとにある。髪の薄くなった姿を青銅の鏡にうつすのを、いまさら尻ごみするものか。――長い間の貧乏ぐらしで獲得したものは、この肉体の健康であった。天の配剤に文句をつける気もなくなってから、ずいぶん久しい年月がたったものだなあ。