陶潛「貧士を詠ず(ひんしをえいず;詠貧士)」(抄) (星川清孝)

知音苟も存らずんば、已んぬるかな、何の悲しむ所ぞ。


ちいんいやしくもあらずんば、やんぬるかな、なんのかなしむところぞ。


知音苟不存 已矣何所悲


ほんとうに自分を知って許し合える人が、かりにもいないのだとすれば、それではどうにも仕方がない。何を悲しむことがあろうか。自分だけがわが道を行くよりほかはないのである。

詩書は座外に塞がれども、日昃きて研むるに遑あらず。
閑居陳の厄に非ざれども、竊かに慍の言に見はるる有り。
何を以て我が懷を慰むる。古此の賢多きに頼る。


ししょはざぐゎいにふさがれども、ひかたむきてきはむるにいとまあらず。
かんきょちんのやくにあらざれども、ひそかにいきどほりのげんにあらはるるあり。
なにをもってわがくゎいをなぐさむる。いにしへこのけんおおきによる。


詩書塞座外 日昃不遑研
閑居非陳厄 竊有慍見言
何以慰我懷 頼古多此賢


詩経書経などの書物は、座席のまわりに一杯に置かれているが、日も傾いてゆっくりと研究するひまもない。世を避けて静かに暮らしているので、孔子が陳(ちん)、蔡(さい)の野で囲まれた危難とはわけがちがうけれど、あの時孔子の弟子子路(しろ)が慍(いかり)の色を言(ことば)にあらわして「君子もまた窮するか」といったと同様に、私も知己を得ないために、心中にはことばに現れるほどのいきどおりがある。この私の心を何をもって慰めよう。それには昔から同じく貧窮に苦しんでも節義を守った賢者が多かったということを、心頼みにするばかりである。