ヘミングウェイ『誰がために鐘は鳴る』(大久保康雄 訳)

そのまま、ふたりは一つになり、いまはもう見えないが、時計の針の進むにつれて、ふたりは知ったのだ。もう何ごとも自分に起らないことは相手にもけっして起るはずはない。これ以上のことはありえない。これが、すべてなんだ。いつまでもこうしているんだ。これは前にあったことと同じだ。いままた。さきにどんなことがあろうと。これだ。ふたりが味わえなかったこと。いま、それを味わっているんだ。いまそれを味わっている。前にも、いつも味わっていた。そしていま、いま、いま。おお、いま、いま、いま、いまだけ、あらゆるものにましていま。そして、いまのおまえのほかにいまはないんだ。いまはおまえの予言者だ。いま、そして、永遠にいま。さあ、いまだ、いま、いまのほか、いまはないんだ。そうだ、いまだ。いま、お願いだからいまだ。いまだけだ。ほかはどうでもいい。いまのいまだけだ。おまえはどこにいるんだ。おれはどこにいるんだ。ほかのものはどこにいるんだ。なぜかなど考えるな。そんなことは永久にどうでもいい。ただこのいまだけだ。いまは、まだつづく。お願いだ。いつまでも、いつまでもいまが、いつまでもいまが。いつまでもいまの、このいまのままがつづいてくれ。一度、この一度かぎり。いまの一度しか、もう、もうないんだ。いま、行こうとしている。いま、あがって行く、いま、すべって行く、いま、去って行く。いま、まわっている。いま、舞いあがって行く。いま、離れて行く。何もかもいま、どこまで行ってもいまだ。一つだ、一つは一つだ。一つだ。一つだ。一つだ。まだ一つだ。まだ一つだ。落ちていく。やわらかに、あこがれていたもの、やさしいもの、たのしいもの、すばらしいもの、愛すべきもの、いま、松の小枝と夜の香のただようなかで、切りとられて横たわる松の木の小枝に肘(ひじ)をもたせているもの、いま、そして明日の朝とともに決定的に現実となるもの。