トルーマン・カポーティ『遠い声 遠い部屋』(河野一郎 訳)

「まず、ぼくが恋をしていたというところから話しはじめようか。というと、たしかにありふれた言い方だが、しかしありふれた事実とは違うんだよ、なぜなら、愛情が思いやりだということを知っている者は、ほとんどいないからね。それにまた思いやりというものは、多くの連中が考えているように憐れみではないんだ。それだけじゃない、愛のよろこびはあらゆる感動を、ただひたすら他の人間に集中することではないのだが、それを知っているのはなおさらわずかだ――われわれは常にたくさんの物を愛さなければならないからね、最愛の人なんていうのは、そのたくさんの物の象徴にすぎないのさ。世間でいう真の恋人たちにしても、実際お互いの目に映っているものは、ライラックの開花や、船の明かり、学校の鐘、風景、忘れずにいた会話、友人たち、子どもの日曜日、失われた声、気に入りの服、秋やすべての季節、思い出、そう、思い出は実在の陸地でまた海だから、思い出、つまりそう言ったものなんだよ。郷愁をさそうものばかりだが、しかしそれにしても、思い出ぐらい郷愁をさそうものが他(ほか)にあるかい?」