ジェフリー・ヒル(富士川義之 訳)
「葬送曲」(抄)
・誰のためにわれわれは苦痛の貢物をかき集めるのか――
ほかならぬ儀式王のためではないのか? われわれは黙想
する
悲惨な神秘を。われわれは死に瀕しているのだ、
肥え太った〈慈愛(カリタス)〉を、あの
磨かれた石の顎を満足させるために。(もしもすべてが
沈黙の音楽によって清められるとするなら。未来が
太陽にかざした剣のごとく、窮極的な償いを
われわれに向って照り返すさまを想像せよ。)
・精神をして魂よりも価値あらしめよ。精神は永続すること
が
ないのだから。魂は己れの価値を把握し、己れ自身の平安
を請い、
涙と汗に決着をつけ、おそらく
不滅なのだ。そのことを私は信じることができる。
敢えてそうしたのだが、私は、
単なる信仰本能、方便にすぎぬ同意を軽蔑したものだが、
私に軽蔑できぬのは荒廃の歴史
あるいは空虚な統治だ。
・あるがままの自分を渇望する者もいる。他の者たちは
ただ一つの幻想(ヴィジョン)以外のすべてに、充足するという
自分たちの宿命に、目がくらんでしまうのだ。私は自己放
棄を
信じる、それこそが私の持物なのだから。
・われわれはあるがままではなく見せかけねばならないのだ、
憐れみという契約上の亡霊たちよ。われわれが
生を欲するのではなく亡霊たちがわれわれを生かし、
果てしない対話のなかでわれわれを清めるのだ。
だからこそ対話が必要なのだ。だからこそわれわれは、
われにもあらず、自分たちを超えるもの、
永遠に宙に浮き、答えることとてない遠い昔の天体の音楽
一つ一つの
証言をするのだ。もしもわれわれが誇ったり苦しむことが
取るに足りぬことであるならば、あるいは
もしも取るに足りぬことであるとしても、すべてのこだま
は
そのような永遠においては同じであるのだ。それなら語っ
てくれ、愛よ、
それがわれわれをいかに慰めるかを――あるいはこの現世
から
なかば落胆しつつ引き立てられた何者かが、
終末に向って「私は死んではいない」と呼びかけたことを。
「九月の歌」(抄)
・(私が自分自身ノタメニ
悲歌(エレジー)ヲ作ッタコトハ
確カダ)
・これで十分だ。これでもう十分以上なのだ。
「受胎告知」(抄)
われらの神は腐敗をまき散らす。司祭や殉教者たちが、
尊大な主旋律に合せて行進する。「おお愛よ、
お前は苦痛が何を受け継いだかを知っている。心せよ。お
前の
友人たちのなかに罪人を認めるように努めるのだ」