2011-03-27から1日間の記事一覧
もとより翻訳において無謬であることが人間に殆ど禁じられていることは、私とてよく知っている。翻訳に対する眼が寛容の眼でなくてならぬことは、私の進んで言いたいことである。しかし誤謬にも程度と種類とがないであろうか。 ※太字は出典では傍点
先ず私のはじめに力説しておきたいことは、近代ジャーナリズムは最初から資本主義の企業的精神と深く結びついて登場して来ているという事実である。
そこで思うのだが、一体、人間の表情などというものは、人の本心を露出するものなのか、あるいは隠蔽するものなのか、また露出するにしてもそのまま露出するものなのか、屈折し変色して露出するものなのか、隠蔽するにしてもいわば隠しつつそのものを仄めか…
思想の生命には、そのどこかに寄生虫めいたところがある。それは何かのものに、時には敵対的な思想そのものにさえ食い入って行って、それを養分としながら自分を存続させ自分をふとらせているのである。