2011-07-28から1日間の記事一覧

竹内敏晴『教師のためのからだとことば考』

「呼びかける」とは、実は、呼ばれていることに応えることなのだ

竹内敏晴『教師のためのからだとことば考』

人と人とのまじわりは、根元的に、わたしがあなたとふれ合うことに始まる、とわたしは考える。だが、相手に「ふれる」と願う行為の最も大きな盲点は、実は自分の思い込みや習慣の内に他人を取り込もうとしているのだと気づくことが極めて難しいことにある。 …

竹内敏晴『教師のためのからだとことば考』

見掛けの話を裏切るのは姿勢(=からだの動き)だけではない。話しことばの音響としての実質である声もまたそうです。

竹内敏晴『教師のためのからだとことば考』

アクションが他者まで届き完結することはかくもむつかしい。ことばの語尾はそのゴール、いやむしろ踏み切り板だと言ったほうがいいかも知れません。

竹内敏晴『教師のためのからだとことば考』

語尾までアクションが貫徹せず、一見きちんとみえるが、実は他人から逃げている、という防衛の仕方をしている人はかなり多いのです。他人を恐れて声が出なくなるという例はわかりやすいのですが、声は朗々と出ている人の、いわば「開かれた閉ざし方」は自他…

竹内敏晴『教師のためのからだとことば考』

姿勢が変わるとは、人の生き方、他者への対応のしかた、それ全体が変わることなのです。

竹内敏晴『教師のためのからだとことば考』

ヨーロッパ人の姿勢の基本は、キリスト教会のように、上へ上へと伸びあがります。そのいちばんはっきりした例はバレエでしょう。爪先立ち、胸は高く支えられ、頭はもたげられる。そして手は水平に、無限のかなたへ向かってさしのべられる。歩くにも腰から動…