2011-10-20から1日間の記事一覧

山田風太郎『戦中派不戦日記』

予想というものは、一般に希望の別名であることが多い。希望とは自分の利益となる空想である。従って、これを逆にいえば「あいつは大した人間にはなれないだろう」などよく人は断言するが、これはその「あいつ」なるものが評者にとって不利益な人間であるこ…

山田風太郎『戦中派不戦日記』

二歩進むためにも、百歩進むためにも、最初の一歩は絶対必要だ。

山田風太郎『戦中派不戦日記』

神はない。少くとも弱者に神はない。従って神は決して存在しない。

山田風太郎『戦中派不戦日記』

しかし人間の真実は――少くとも真実の一面は、案外「曳かれ者の小唄」の中にあるものである。

山田風太郎『戦中派不戦日記』

「また今度笑って逢えたら倖せだなあ」 というのが二人の最後の別れの言葉だった。

山田風太郎『戦中派不戦日記』

自分は幸福な家庭を見るとき、いつも胸の中で何者かが薄暗く首を垂れるのを感じる。そしてまたその首が薄暗くもちあがるのを感じる。その首がつぶやく。この不幸がやがておれの武器となる、と。――

山田風太郎『戦中派不戦日記』

美しい絵には陰翳が必要である。一つの幸福が享受されている陰には、必ず何人かそれに比例する苦痛をなめている。少くとも〝生きている者〟すべてに何の害をも及ぼさない幸福が、この地上にないものだろうか。

山田風太郎『戦中派不戦日記』

焦げた手拭いを頰かむりした中年の女が二人、ぼんやりと路傍に腰を下ろしていた。風が吹いて、しょんぼりした二人に、白い砂塵を吐きかけた。そのとき、女の一人がふと蒼空を仰いで 「ねえ……また、きっといいこともあるよ。……」 と呟いたのが聞えた。 自分の…

山田風太郎『戦中派不戦日記』

運、この漠然とした言葉が、今ほど民衆にとって、深い、凄い、恐ろしい、虚無的な――そして変な明るさをさえ持って浮かび上った時代はないであろう。東京に住む人間たちの生死は、ただ「運」という柱をめぐってうごいているのだ。