2012-02-21から1日間の記事一覧

福田恆在「一匹と九十九匹と」

文学は阿片である――この二十世紀においては宗教以上に阿片である。阿片であることに文学はなんで自卑を感ずることがあらうか。現代のぼくたちの文学をかへりみるがいゝ――阿片といふことがたとへ文学の謙遜であるにしても、その阿片たる役割すらはたしえぬも…

福田恆在「一匹と九十九匹と」

この一匹の救ひにかれは一切か無かを賭けてゐるのである。なぜなら政治の見のがした一匹を救ひとることができたならば、かれはすべてを救ふことができるのである。こゝに「ひとりの罪人」はかれにとつてたんなるひとりではない。かれはこのひとりをとほして…

福田恆在「一匹と九十九匹と」

思想史は無数の矛盾撞著にみちみちてゐる。気のはやい思索家はそのことを自己の懐疑思想の動機とする。が、これほどばからしいことはない。ぼくは相反する思想にみたされた二千年の哲学史を、その矛盾のゆゑに信ずるのである。それらはたがひに矛盾するもの…

福田恆在「一匹と九十九匹と」

たれもかれもがおのれの立場を固執してゆづらない。それは思想や信念のたしかさからきてゐるのではなく、むしろその逆であり、思想をもちえぬがゆゑに、眼前の事象にとらはれてうごきがとれぬのである。ひとびとのかたくなさはひとへに事実のかたくなさにす…