2013-12-17から1日間の記事一覧

丸谷才一『年の残り』

十月十七日(金) 四時帰宅。妹とケンカをする。彼女はどうも程度が低い。最低である。特に記すべきことなし。後藤正也氏はユーウツであった。 〔……〕 十一月十九日(日) 午前中、数学。夜、テレビをすこし見てから英語。ポーの難単語に苦しむ。妹はグルー…

大岡昇平『武蔵野夫人』

学者秋山の出世主義にはもともと徳の入る余地は少なかつたが、彼の姦通の趣味は主として彼の専門のスタンダール耽読によつて涵養された。この十九世紀サロンの大恋愛者は、夫婦関係を少しも恋愛の障害とは考へてゐなかつた。むしろ情熱をそゝり、偉大にまで…

安岡章太郎『埋まる谷間』

この家に住んで、もう四年半になる。私が、ここに五一・七五坪の土地を買い、十一・三五坪のセメント原型スレート葺の家をたてたころには、このへんはT川にそそぐ沢のような湿地帯で、住宅地のなかでは取り残され、見棄てられたような一劃だった。 いや事実…

川端康成『雪国』

島村は少し恥かしさうに苦笑して、「どうもありがたう。手伝ひに来てるの?」 「ええ」と、うなづくはずみに、葉子はあの刺すやうに美しい目で、島村をちらつと見た。島村はなにかに狼狽した。

夏目漱石『行人』「兄」

其時兄は常に変らない様子をして、(嫂に評させると常に変らない様子を装つて、)「二郎一寸話がある。彼方(あっち)の室(へや)へ来て呉れ」と穏かに云つた。自分は大人しく「はい」と答へて立つた。

小林秀雄「アシルと亀の子」I

最近二つの論文集を読んだ。〔……〕芸術を愛してゐる小説作家と芸術などを愛する事は愚劣と信ずる文芸批評技師とによつて書かれたこの二つの論文はもちろん大へん趣の変つたものだが、両方とも同じ様に仰々しく(颯爽としてゐるといふ人もあるかもしれない)…

太宰治『狂言の神』

今夜、死ぬのだ。それまでの数時間を、私は幸福に使ひたかつた。ごつとん、ごつとん、のろすぎる電車にゆられながら、暗鬱でもない、荒凉でもない、孤独の極でもない、智慧の果でもない、狂乱でもない、阿呆感でもない、号泣でもない、悶悶でもない、厳粛で…

武田泰淳『ひかりごけ』

光というものには、こんなかすかな、ひかえ目な、ひとりでに結晶するような性質があったのかと感動するほどの淡い光でした。苔が金緑色に光るというよりは、金緑色の苔がいつのまにか光そのものになったと言った方がよいでしょう。光りかがやくのではなく、…