2015-03-01から1ヶ月間の記事一覧

塚本邦雄

革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ

茨木のり子「自分の感受性くらい」

ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて 気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか 苛立つのを 近親のせいにはするな なにもかも下手だったのはわたくし

前田河広一郎「三等船客」

「あれ、擽ったい。」 はねのけるような癇高な、鼻のひくい、中年期の女のみが発し得る声が、総体にゆらゆらと傾いた船室の一隅からひびいた。女の姿は何かの蔭になって見えなかったが、男は前のめりに動いた姿だけ、汚らしい壁の上に、不自然な暴動の影を投…

角川源義

花あれば西行の日とおもふべし

窪田章一郎

弟の臨終(いまは)のあはれ伝へ得る一人の兵もつひに還らず

清岡卓行「青空」

遥かに遠浅のざわめく海の底を/水平線に向かって歩く自殺者がしだいに静まる周囲の波のなかで/はじめて味わう完璧な孤独のように。//追いつめられて真に戦おうとする弱者が/親しい仲間の誰をも信じられず/思いがけない別れの町角で ふと抱く/悲しく冷…

小山内薫「息子」

(幕が明くと、「手先」と呼ばるゝ捕吏が、あたりに目を配りながら出て来る。二三度、火の番小屋の前を行つたり来たりする。やがて、小屋の前に立ち留り、火の番の老爺に呼びかける。) 捕吏 とつつあん。まだ生きてるな。 火の番 (顔を上げる)生きてると…

飯田龍太

大寒の一戸もかくれなき故郷

宮柊二

ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくづをれて伏す

小野十三郎「拒絶の木」

立ちどまって そんなにわたしを見ないで。 かんけいありません、あなたの歌にわたしは。 あなたに見つめられている間は 水も上ってこないんです。 そんな眼で わたしを下から上まで見ないでほしい。 ゆれるわたしの重量の中にはいってこないでください。 未…

久米正雄「破船」

鎌倉の海は穏に凪いでゐた。 十二月初めの午後の日が、もう少しく赤みを帯びて、西へ傾き加減に煙つてゐるために、右手に突出た稲村ヶ崎一帯は、燻色の陰影になつて、江の島が半ば顔を出しながら、遠く輪郭を蝕ませて浮んでゐる海面を、対照的に光らしてゐる…

芝不器男

あなたなる夜雨(よさめ)の葛のあなたかな

近藤芳美

夕ぐれは焼けたる階に人ありて硝子の屑を捨て落すかな

入沢康夫「『木の船』のための素描」

乗務員はだれあってこの船の全景を知らぬ 一つ一つの船室は異様に細長い。幅と高さとが各3メートルで、長さは10メートルといった具合に(そして1×1×3メートルといった狭い室もある)。隔壁はすべて厚い槇の板で作られており、室によっては粗笨な渦巻あるいは…

中河與一「悩ましい妄想」

城壁のやうに高く連つてゐる高架鉄道が、山の腹から出て東へ野原を横ぎつてゐた。それと斜(はす)かひに通つた野の道は線路の下をトンネルのやうにくりぬいて、向ふに見える小さい村に消えてゐる。 彼は、どうして其の村へ帰らうかと思ひ煩ひ乍ら放心者のやう…

大野林火

ねむりても旅の花火の胸にひらく

吉野秀雄

真命(まいのち)の極みに堪へてししむらを敢てゆだねしわぎも子あはれ

吉野弘「沈丁華」

事物は明確に存在するが匂いのない 死の国。 その領地を 姿を見せない生者の群れが 欲望と汗の香りを振り撒いて さざめきながら通過する。 私は 私の間近を通りすぎてゆく彼等の 強烈な香りにむせびながら 自分が死者であることに気付く。 そのように 私を死…

内田百ケン「盡頭子」

女を世話してくれる人があつたので、私は誰にも知れない様に内を出た。その女が、だれかの妾だと云ふ事は、うすうす解つてゐた。人の一人も通つてゐない変な道を、随分長い間歩いて行つたら、その家の前に来た。二階建の四軒長屋の左から二軒目の家である。…

秋元不死男

鳥渡るこきこきこきと罐切れば

太田水穂

命ひとつ露にまみれて野をぞゆく涯なきものを追ふごとくにも

富岡多恵子「身上話」

おやじもおふくろも とりあげばあさんも 予想屋という予想屋は みんな男の子だと賭けたので どうしても女の子として胞衣(えな)をやぶった するとみんなが残念がったので 男の子になってやった すると みんながほめてくれたので 女の子になってやった すると …

小川未明「赤い蝋燭と人魚」

人魚は、南の方の海にばかり棲んでゐるのではありません。北の海にも棲んでゐたのであります。 北方の海の色は、青うございました。ある時、岩の上に、女の人魚があがつて、あたりの景色を眺めながら休んでゐました。 雲間から洩れた月の光がさびしく、浪の…

永田耕衣

夢の世に葱を作りて寂しさよ

木俣修

鷺の群渡りをへたる野の上はただうすうすに青き雪照(ゆきでり)

石垣りん「表札」

自分の住むところには 自分で表札を出すにかぎる。 自分の寝泊りする場所に 他人がかけてくれる表札は いつもろくなことはない。

宇野浩二「蔵の中」

そして私は質屋に行かうと思ひ立ちました。私が質屋に行かうといふのは、勿論質物(しちもつ)を出しに行かうといふのではありません、私には今少しもそんな余裕の金はないのです。と言つて、又質物を入れに行くのでも無論ありません。私は今質に入れる一枚の…

篠原梵

葉櫻の中の無数の空さわぐ

柴生田稔

なほいまだナチスの民にまさらむと人は言ひにき幾年前(いくとせまへ)か

新川和江「わたしを束ねないで」

わたしを束ねないで あらせいとうの花のように 白い葱のように 束ねないでください わたしは稲穂 秋 大地が胸を焦がす 見渡すかぎりの金色の稲穂 わたしを止めないで 標本箱の昆虫のように 高原からきた絵はがきのように 止めないでください わたしは羽撃き …