2015-05-25から1日間の記事一覧

遠藤周作「深い河」

やき芋ォ、やき芋、ほかほかのやき芋ォ。 医師から手遅れになった妻の癌を宣告されたあの瞬間を思い出す時、磯辺は、診察室の窓の下から彼の狼狽を嗤うように聞こえたやき芋屋の声がいつも甦ってくる。 間のびした呑気そうな、男の声。 やき芋ォ、やき芋、ほ…

金井美恵子「柔らかい土をふんで、」

柔らかい土をふんで、そうでなくとももともと柔らかいあしのうらは音など滅多にたてずごく柔らかなふっくらとして丸味をおびた肉質のものが何かに触れる微かな音をたてるだけなのだが、固いコンクリートや煉瓦の上や、建物の一階分だけ正面の壁と床にチェス…

小川洋子「冷めない紅茶」

その夜、わたしは初めて死というものについて考えた。風が澄んだ音をたてて凍りつくような、冷たい夜だった。そんなふうに、きちんと順序立てて死について考えたことは、今までなかった。 確かにそれまでにも、わたしの周りにいくつかの死はあった。 小学校…